森進一 歌声の底から魂の破片が零れ落ちる歌手

歌手 森進一さんの魅力について綴ります

“聴き手をねじ伏せる”森進一の『北の螢』

 阿久悠さんが森進一さんに提供した曲の中から『北の螢』を外すことはできないでしょう。阿久さんは、1984年(昭59)の紅白歌合戦で披露した森さんの『北の螢』について、「鬼気迫る“聴き歌”」と題して次のように述べています。

 

「 「北の螢」は昭和59(1984)年に森進一が歌った、かなり凄味のある歌である。その年の紅白歌合戦で紙吹雪まみれになって熱唱した森進一の鬼気迫る姿を、今でも覚えている。大晦日、何十人かでホテルの広い部屋で小パーティを開いていたのだが、その時ばかりはみんなが酒を飲むのを休み、おしゃべりを中断してテレビに見入り、聴き入り、「凄い」とか、「スゲエ」とかいったものである。これなら聴き手をねじ伏せることが出来る。プロを見せつけることが出来ると感動したものである。」(「歌謡曲の時代 歌もよう 人もよう(新潮社・2004年)」)

 

曲の作り手から、歌唱について「聴き手をねじ伏せることが出来る。」「プロを見せつけることが出来る。」と評されることは、歌手にとってこの上ない賛辞だと思いますが、森さんのこの時の歌の迫力はその高い評価に相応しいものだったと思います。(この場面は今もインターネットで観ることができます。)

阿久さんは、この歌が誕生するまでの経緯についても述べていますが、当時の東映から直接、映画の題名と作詞の製作を依頼されたそうです。原作やシナリオを書くなどの依頼ではなく、題名だけというユニークな依頼だったにもかかわらず、阿久さんは引き受けたとのことです。

「 5案か6案か出した題名案の中から「北の螢」が選ばれ、どういうイメージかと問われるので、「情婦マノン」だと答えた。つまり、地の果てまでも男を追って行く。

「情婦マノン」が京の名妓と北海道の監獄長の話になっていることは知っていたので、

 〽山が泣く 風が泣く 少し遅れて雪が泣く……

で始まって、

 〽もしも 私が死んだなら

  胸の乳房をつき破り 赤い螢が翔ぶでしょう……

とちょっと恐い詞を書いた。

 この詞の原稿を手渡した時、作曲の三木たかしは体を震わせて興奮してくれた。そして、その興奮が森進一に伝わり、紅白歌合戦の鬼気迫る熱唱に集約したのである。

 今は故人となった五社英雄監督からは、撮影中も、歌の凄味に負けない映画を作るという手紙を貰った。

 このような圧倒的な聴き歌が世に流れなくなって淋しい。すべてが歌い歌になっている。 」(「歌謡曲の時代 歌もよう 人もよう(同上)」)

 

「聴き歌」「歌い歌」という言葉を私は初めて聞きましたが、その真意は理解できるように思います。この年の紅白で森さんが歌い終えた瞬間に拍手が沸き起こりましたが、その後は会場全体が放心状態というべきか、不思議な時間が流れているのを感じたものです。

この日の森さんを観ていて私が一番心を打たれたのは、間奏中の森さんの立ち姿でした。一番の歌が終わると拍手が湧きましたが、森さんは一切表情を変えず、何の反応も示さず、体全体で軽くリズムをとる仕種だけをしており、やがて演奏が二番に入ると、間奏時間などなかったかのように、一番と全く同じ迫力で力強く歌い出しました。完全に歌の中に没入しているのが分かりました。

 

実はこの84年は、春先から都はるみさんはその年限りで引退することを公表していて、紅白歌合戦は現役歌手としての最後の舞台でもあったのです。森さんが白組のトリ、都はるみさんは大トリを務めることになっていました。都はるみさんの方がデビューは2年程早かったと思いますが、二人は共にデビュー以来ヒット曲を連発してきましたからテレビで共演することが多く、紅白歌合戦では二人の対決は9回にも及んでいます。この日の『北の螢』がこれほどまでに見事な歌唱になったのは、都はるみさんを敬意を込めてしっかりと送り出したいという森さんの強い意識があったのではないかと思うのです。森さんは歌い終えてゆっくりと観客席に一礼した後、赤組の方を向き、「さあ」というように、右手を差し出しましたが、その静かな姿を見てふとそのように感じました。

 

その歌に観客が度肝を抜かれるような、唖然として声も出ないような場面をこの他にも森さんは幾つも作り出しています。このことについてはまた後に触れたいと思いますが、その第一の原因は、森さんが普段から歌の中に深く潜入して歌っていることにあると思うのです。その姿勢が常態であるために、森さんの心が何かの刺激や感動を覚えるような出来事が起こると、阿久さんが「鬼気迫る“聴き歌”」と表現したような、常軌を逸したかのような凄い歌唱になるのではないかと思います。だから、「昔、浅草国際劇場のリサイタルで聴いた森進一の『人生の並木道』が今も忘れられない」などという言葉をインターネットで見かけたりすると、今では知りようもない場面でさらに幾つもの奇跡的な歌唱場面が実在したのではないかと想像してしまいます。